高菜@株初心者の兼業投資日記

定期預金から株に手を伸ばした初心者サラリーマンの日記

1万円以上のものがなかなか買えない話

平成生まれのデフレの申し子なので、高いものが買えない。

買えないというのは、お金がないから泣く泣くというのもあるけど、

たいていは心理的障壁として「買えないなあ」と思って

やめてしまうというものだ。

買ってもいいんだけど、なぜか喜びより喪失感や背徳感のほうが

先んじてしまって、結果心によろしくない。

などと思っていたら、服も、靴も、化粧品も、1万円も出せなく

なってしまった。

 

要らないものを買ってしまうことなんかはよくあって、

それこそ多分その辺の小さい子のいる親より、もっときっと

買っていて、でもそれらはほとんど100均か、高くても1,000円

ちょっとのものたち。

買うという行為への欲求は満たされるし、安くても吟味するから

納得して買えたという満足感もあるのだけど、それでもやっぱり

これしか買えないんだ…という心もとなさが押し寄せてきて

悲しくなる。

じゃあ思い切って、ずっと気になっていたお店のかわいくて誰も

持っていなくて一目でおしゃれだなあとわかるようなあの服を

定価で1万円以上出して買うかとなると、これはもう、絶対に

買えない。部屋にあふれた安いものたちのようにタフではない

からだ。

ストッキングをはくといつも思い出す、不器用だからか履く前に

指が爪がひっかかって、つれて無駄になってしまったこと。

それとおんなじで、1回目に意気揚々と着て出かけて汚れてしまった

白いシャツや、ひっかけてしまったレース。これらが思い出されると、

「何度も着られるんだから」なんて言葉の魔法も解けてしまうのだ。

そう言いながら安いものたちも積みあがってそこそこの出費に

なってしまっているだろうけど、やっぱり一気には出せない。

 

だけどまあ不思議なもので、最近はそこそこ貯まってくれたお金が

あるという安心感からか、少しはお金を使えない呪縛から

解放されてきたと思う。ちょっとしたおいしいお店に外食しに

行く、ボーナスで親にいいとこのごはんをごちそうするくらいは

気持ちよくできるようになった。

(相変わらず平日昼は冷凍食品を詰め込んだ激安弁当だけど)

 

浪費も切り詰めすぎもよくないけど、私の気持ちがのびやかに

なるために、いい落としどころを見つけたい。